母の白内障と認知症
2025年10月13日 13:22
見えなくなるという、命の選択
― 母の白内障と認知症を通して ―
母が80歳を過ぎたころから、
「最近、目が見えづらい」と言い出しました。
姉が病院へ連れて行ってくれたところ、
お医者さんは「白内障ですね。手術をすれば良くなりますよ」と言いました。
「目薬でも楽になりますよ」
「メガネを変えたら見やすくなりますよ」
そう伝えても、母は首を横に振るばかりでした。
「いやだ」
「大丈夫」
母はどんな提案にも、静かに拒否をしました。
その頑なさの裏に、
私は長い間「なぜ?」という思いを抱えていました。
けれど今、あのときの母を思うと、
それは“拒絶”ではなく、命の自然な選択だったのかもしれません。
🌕 外を見る目から、内を見る目へ
母は若い頃から働きづめで、
人の世話をし、気をつかい、
たくさんの現実を見てきた人でした。
「見なければ」「わかってあげなければ」——
そんな思いで生きてきたからこそ、
老いの入り口で、命はこう言ったのかもしれません。
「もう、外の世界を見つめるのは十分よ。
これからは、内なる光を見たいの。」
白内障で見えなくなっていくその現象は、
“視力の衰え”ではなく、
命が外界から離れ、内側の真実を見つめ始めたサイン。
目を閉じるように、少しずつ、
人の言葉や出来事から離れていくその姿は、
“衰え”ではなく“還り道”だったのだと、今なら思えるのです。

🌕 忘れるという祈り
その後、母は認知症と診断されました。
話すことも、覚えていることも減っていきました。
けれど、命の本質で見れば、
“忘れる”ことは“失う”ことではありません。
それは、長い人生で背負ってきた
「心配」や「怒り」や「悲しみ」を
ひとつひとつ溶かしていく、命の祈りの形。
思い出せなくなるたびに、
「もう許したよ」「もういいんだよ」と
静かに言っていたのかもしれません。
🌕 光の中で見えるもの
母は「治らない道」を選んだのではなく、
「もう十分に見た」人生を静かに閉じながら、
光の中で本当の視界を取り戻していた。
たとえ私たちの言葉が届かないように見えても、
母の命は、その優しさの光をちゃんと感じていたのです。
目を閉じた母の内側には、
この世界よりもずっと鮮やかな光景が
広がっていたのかもしれません。

🌕 終わりに
見えなくなるという出来事も、
忘れていくという現象も、
すべては命が「還る準備」をしていた証。
母の生き方そのものが、
私に“命の本質のやさしさ”を
静かに教えてくれたのだと、今では思います。